精神保健教育と情報提供の必要性
大阪教育大附属池田小学校の精神障害者を装った男による殺傷事件が起きて、1〜2週間の間ずっと気になっていたことがある。全国の数多くの学校では、防災訓練さながらの演習をおこなったり、防犯ベルを持たせたりしていたこと。マスコミの多くは、この事件がいかに悲惨であるかばかりを強調し、社会不安を過度に煽りたてていたこと。マスコミでの教育に関する論点が、「開かれた学校か、安全確保のための閉鎖か」という、二項対立によって単純化したものだったことである。
子どもの安全を図ることは、保護者・親の情緒的判断としては、まったく同感に思う。しかし、学校やマスコミの側がこういった世相を煽りたてるのには、疑問を感じた。大事なことが抜け落ちていると思った。
学校は、いうまでもなく教育機関としての公共的使命を負っている。マスコミもまた、報道・情報提供を通じての間接的な教育機能を担っている。そうであるとすれば、これらの公的機関がもっと取り組むべきことや、提供するべき情報は他になかっただろうか。実際はタブーでないことを、否、タブー視してはいけないはずのものを、タブー視することによって、必要な議論を欠落させていなかっただろうか。
マスコミは、今回の事件の速報で、「精神障害」に絡めて報道してしまったことの誤りは認めねばならないだろう。しかし、すでにそうしてしまった以上、一般の「精神障害者」が犯罪と無縁であることは十分強調しつつ、「精神病とは何か」について語る必要があるように思う。
具体的には、精神病は脳の情報伝達物質の代謝機能の不全としての側面があって、だれでも発病しうるとか。分裂病に限っても0.8%という罹患率の高さで、だいたい100人に一人が発病する可能性があって、なじみの深い病であるとか。それにもかかわらずふだん周囲でみかけないのは、世間の偏見があるためだとか。分裂病とカミングアウトしたとたん、フォローよりもかえってストレスを被るがゆえに、見た目にわからないけれど社会復帰して普通に働いている人の多くが、病歴を秘密にしているだとか。
報道機関では、鬱病患者が多く一時期有名人のカミングアウトも続いたせいか、いくつかの健康ものTV番組や家庭・健康欄新聞記事において、躁鬱病の情報が多い時期があった。認知度の点では、一般企業でも同様だと思う。鬱病は働く中年男性に多いといわれている。つまり、一緒に働いている同僚や上司や部下が倒れるのを、そばで目の当たりにするがゆえに、認知度は結構高い。日常会話でも、「今日は鬱だから」なんていう言葉をさらっと用いる人もいる。同じ精神病でも躁鬱病は、それだけ浸透しているように思われる。
それだけに、最近は対策に本腰を入れている企業も多くく、たしか東芝や富士ゼロックスといった大企業は積極的に取り組み、後者では自殺者が0になったと聞いたことがある。大企業社員の「理由なき自殺」もタブーとされる話題だが、こういった取り組みは評価したいと思う。
一方、分裂病は二十歳前後の青年期の発病が多い。多くが就職前に発病し、現状では予後が悪ければ積極的に社会参加する道をたたれているがゆえに、分裂病者の存在を知る機会が少ない。また、予後がすぐれている場合でも、社会の一線で働いている多くの人がカミングアウトしない。
結果、企業や公的な場では、認知度も低く、精神医療利用者の側にとっては様々な問題が改良されず、社会のなかの偏見や差別、無知も改められることがないのではないだろうか。
それゆえ、病状の良し悪しにかかわらず社会参加が可能な道を、この社会が用意するということが必要だと思う。同時に、どういう病気なのかが、もっと広く情報提供される必要がある。
とりわけ教育の場では、中学校や高等学校などの保健体育などで、もっと講義される必要があるのではないだろうか。早期にも発病しうる分裂病に限らず、思春期から青年期において関わりがある精神科適用疾患は、決して少なくない。